2011年12月25日日曜日

☆Naveidad☆

パラグアイ2度目のクリスマス。
イブは、朝から雨で、断水でした。(最悪)

今年は、クリスマスカードにチャレンジしてみました。
画用紙に、リボンとかビーズ、折り紙を貼りつけて
決まり文句を一フレーズ。
最後に、私も残り半年だからよろしくね!と+1。

同僚の先生方のうちを、適当に探しながら間違えながら訪ねて回りました。
みんなのうちでちょっとずつお話しながら歩くうちに、
いつの間にか、3時間半が経過していました。
早い・・・

それから、一人の先生の夕食に招待されたので、
行ってみました。
10時に夕食を食べ始め・・・
12時・・・家々で花火を鳴らしまくっています。
     おめでとうのあいさつ。(生誕に??)
     キリストにお願いごと。
家に帰り、2度目の夕食・・・
さすがに、胃が肉でやばいことになりそうでした。

胃が消化するのを待ってから、就寝。

25日は、疲れてずっと寝ちゃいました。。。

また、写真等載せます。

2011年12月20日火曜日

パラグアイのクリスマス

パラグアイのクリスマスは、なんだか明るいです。

暑くって、全然それらしくないんですが・・・
・各家庭が、イルミネーションで彩られる。
・首都のお店は、かなりすごい模様のイルミネーション。
・道端にも、天使型のイルミネーション。

とっても、キレイです。
私的には、気に入っています。

それから、庭や軒下に、キリスト誕生の様子を表す人形を飾ります。
ぺセーブレと言います。
今年は、どこの家もパワーアップしているように感じました。

藁ぶきの屋根に、芝生、
ツリーにつけるような飾りを屋根から糸でたらし、
屋根や床をイルミネーションで装飾。

でかいものには、高さ1m以上のものもありました。
信仰心の現れなのかわかりませんが、
現代キリストは、とてもきらびやかな世界で誕生を
お祝いされるようです。

飲み物。
シードラというリンゴ味のシャンパンのようなお酒をよく飲みます。
子どもも飲んでいます。(いいのかしら・・・)
クレリコ・・・フルーツポンチにワインを入れたようなもの。
クリスマスにもお正月にもよく飲まれます。

2011年12月10日土曜日

夏休みの仕事☆

夏休みを利用して、現地の先生方を対象に
「指導書」を作成することになりました。

学校では、決まったテキストがなく、
先生方個人個人がテキストを購入し、使用しています。

毎週、授業計画を教頭先生に提出しなければなりませんが、
見通しが持てない先生の場合、
テキストをめくって、してないページを片っ端からやっていく先生もいます。

テキストも、似たような問題を載せたり、
基礎内容が薄く、いきなり難しい問題が出題されることもあります。
つまり、取捨選択の力がかなり必要とされます。

そんな先生方の混乱・負担をちょっとでも軽くするために、作成に至りました。


ということで、12月5日から3日間、さっそく首都の連絡所にて、
算数隊員合宿!
その前に、分担を決め、単元の流れをざっと予習。
合宿当日は、みんなで形式を確認し、まずは単元計画をスペイン語に。

すると、問題が・・・
実はけっこう任地や配属先の学校で使用する用語に違いがありました。
これらを辞書やこれまで使用したノートなどで調べ上げ、統一。

そして、指導案づくり。
正直、日本語でも作るの大変です。
さらに、私のレベルは実習生。
ちょっと、いやだいぶ精神的にきつい仕事が始まりました。

それから、2月、学校が始まる前に私の任地アトゥラで講習会を行うことになりました。
ちょっとこれまでよりも、レベルを挙げて、内容を変更することに。
また、一から講習会準備です。

この二つの完成と成功を目指して、夏休みやってきます!

2011年12月1日木曜日

パラグアイの夏

パラグアイの夏に飲むものと言えば、
テレレ!

というか、今までこれを紹介せずにすみません。
これは、パラグアイの文化で最も代表的なものです。

グアンパと呼ばれる湯呑に、ジェルバ(お茶っぱ)を入れ、
でかい水筒(氷を入れるため)には、また別の草を軽く叩いていれ、
それをグアンパにいれて、
ボンビージャ(こせるようになっているストロー)で吸って飲みます。
一人がついで、みんなで回し飲みするのがテレレです。

*ちなみに、お湯でやる場合はマテと言います。

初めは、慣れないものですが、
もはや今は、このテレレなしでは生きていけないのでは?
という具合に、生活に密着しています。

知らない人とでも、テレレを飲めば友達になれる。
そんな飲み物、テレレ。

2011年10月24日月曜日

ひょう

ひょうが降りました。
パラグアイではそんなに珍しいことではありません。
でも、初めての経験だったので、つい写真に収めました。

ちょうど、ベッドに横になったとき、
天井から変な音が聞こえてきました。
もしやと思って、カーテンの隙間から覗いてみると、
巨峯サイズの氷のつぶてががんがん落ちてきています。

外に出ては、危険だったので窓からこっそり写真をとりました。
私は、そのまま寝てしまいましたが、
家族は天井が壊れるのを夢の中で恐れていたみたいです。
結局は眠気に負けて、そのまま寝ていたようですが…


それにしても、昼外にいるときの時間帯でなくてよかったです。
ではでは。

2011年10月23日日曜日

お知らせの写真

写真が順番通りにならなかっので、
載っている順に紹介します。

原爆展(8月4日の様子)
中学生を対象に話しています。
実際には、時間を分けて、小学1年生から中学3年生までの
みんなを対象にクラスを開きました。

協同組合のサロンで。





最後に、書いてもらったメッセージカードと一緒に記念撮影。
オレンジ色のカードがそれです。

9月2,3日に行った算数の講習会後に撮った写真。
みんな、作成した教材を手に、嬉しそうな顔で写っています。



今年も毎日のように行ったEXPO。
革製品がたくさん売られています。


市の創立記念日に行われた、行進パレードに
日本の国旗を手に、ゆかたで参加してみました。
たくさん写真を撮られました☆



今年と言えば…Bicentenario!!!
パラグアイ独立200周年です。
1811年5月15日→2011年5月15日


この人らが、独立に関与した偉人やパラグアイを代表する偉人たち。
何人かはお札になっています。


以上、この間の補足写真です。

2011年10月22日土曜日

お知らせ

みなさん、長い間更新をおやすみしてすみませんでした。

これまでの全部をブログに載せることは難しいと思いますが、
これまでの何ヶ月間、主に何をしてきたのかだけでも、ちょっと紹介したいと思います。

<4月>
21,22日 セマナ・サンタ(復活祭) 日本で言うお盆のようなもの。
      木曜日にはチパ(パラグアイの伝統スナック)を食べ、
      金曜日には肉を食べてはいけません。家はなぜか食べた・・・
30日 1本目の親知らずを抜きました。意外と5分くらいで抜けてびっくり!

<5月>
14,15日 Bicentenario パラグアイ独立200周年。
      14日には任地でdesfile(行進)を、
      15日には首都で各国から来た団体がパレードが行われました。
21日 さらに、親知らず2本を2本抜きました。
    ほっぺたが腫れてまるでリス。

<6月>
3日 算数の講習会を行いました。初めてでかなり緊張。
4日 上の歯に矯正装置をつけました。これで肉を食べるのが相当つらくなった。
11日 下の歯にも装置装着。
12日 任地の先輩の誕生日会&送別会 寂しくなるなぁ。。
24日 San Juan と呼ばれるキリスト教の行事がありました。
    恋占いをしたり、火を使った遊びをしたりと盛りだくさん☆
25日 バレー仲間と誕生日会。みんな牛肉だけど、私専用に鶏肉を準備♪
26日 家族と誕生日会。コロッケとメンチカツを作りました☆
27日 パラグアイで0度観測。学校の芝生には霜が降りて、
    水たまりには氷が張っていました。

<7月>
1日 San Juanのイベントを学校で。
   大学の学祭のようにたくさんの屋台の食べ物を作って売りました。
2,3日 同期の誕生日会に行ってきました。うどんを作って食べました。
     それから寒すぎて、手がしもやけだらけに。。。
11日 冬休みがやってきました。
    そのほとんどを原爆展の準備に費やし、あまり休めなかった。。。
    ビーズアクセサリーを作って、ちょっとだけ気分転換。
   
<8月>
2,3,4日 同期の隊員の学校と私の学校で原爆展を行いました。
     新出単語にかなり苦戦。とても大変でした。
     でも、子どもたちがたくさん感想を書いていて嬉しかったな。
5日 JICA主催の安全対策委員会&隊員の歓迎送別会
7日 アスンシオンマラソンに参加!見事ハーフマラソン完走。(練習3回)
   練習していないせいで、かなりしんどかったですが、
   首都の大通りを走れたのは爽快☆
15日 首都アスンシオン市の創立記念日。
    祝日を利用してアレグアにいちごのEXPOに行ってきました。
20日 イグアス移住地50周年を記念したイベントに行ってきました。
    日系人の方にたくさんお会いしました。会場でピーナッツバターを発見!
    思わず購入し、しばらくはパンのお供に。

<9月>
2、3日 第2回目の算数講習会を行いました。
     2日目は土曜日にも関わらず、教材作成のために来てくださった先生方が
     たくさんいらっしゃってよかった♪ 最後は満面の笑みで帰ってくれました。
9日 最後の原爆展を実施。前回よりもスペイン語が滑らかに話せてよかった。
   終わったーーー!って気持ちです。
15日くらい。ちょっくら周辺校をのぞきに行ってみました。
   次の週から、ちょっとだけ通うことに。
17日 早朝から大雨。さらに雷が落ち、多くの家庭の電化製品がやられる!
    私もパソコンのアダプターが、、、でも回復してよかった!
21日 春が来ました。恒例のパレードを。
23日 ルケの銀細工のEXPOに行きました。ピアスを一個購入♪
24日 EXPO~cuero~が始まりました。去年よりもお店が若干増えていた!
29日 EXPOのマラソン大会に参加。なんと女性18歳以上の参加者は一人。
    どんなに頑張っても頑張らなくても1番でしたが、8kmを完走!
    (ちなみに高校生女子は3km)
30日 ミスEXPOが開催。
    衣装替え中の出し物が今日年よりも数倍パワーアップ↑↑ 

<10月>
1日 朝から土砂降り。何もかもが雨で中止。次の日から3日間半停電が続く。
2日 高校の50周年を記念して、卒業生も含めたDesfile。
   なんと私はJICA代表として、来賓席に座らせてもらいました。笑
3日 アトゥラ中の学校のDesfile。今年は、浴衣で参加してみました。
   着付けは前の晩に練習。笑
   EXPOの記念に、お父さんにプレゼントを買ってみました。
4日 ヒネテアーダ。たくさんの馬が来て、ショーのようなことやっていました。
6日 同期の隊員の学校へ教材作成講習の補助に。
   私がコンパスで一生懸命作った時計の教材をみんながコピーして使っていた。
   これで、お隣カアクペ市の時計の教材はみんな私デザイン☆笑
10,11,12日 パラグアイ全国の公立学校が給料upのためにストライキ。
       お願いだから、働いて夏休みにデモ行進でもなんでもやってくれー。
23日 アトゥラ市選抜のサッカーの試合を見に行く予定。

と、まぁ、こんな感じです。
写真も余裕があれば、載せたいと思っています。

2011年6月30日木曜日

Cumpleaños!

パラグアイでの、最初で最後の誕生日がやってきました!
6月20日、梅雨。
人生で初めて、冬に誕生を迎えました。
同期の隊員からもらったプレゼントは、
グアンパ(湯のみ?コップ←今後きちんと紹介します)と毛糸の靴下。
まさに冬を感じさせます。
その日の昼ごはんと一緒に写真にしてみました。


パラグアイでは、誕生日会は開かれるものではなく、開くものです。
そこで、私もささやかに開いてみました。

バレー仲間とアサード(=焼き肉)
誕生日やお祝い事と言えば、これ、アサードです。
日本のように切ってから焼くのではなく、
塊を炭火で時間をかけて焼いて食べます。
炭をおこしたり、肉を焼いたり、サラダを作ったり、
準備はみんながしてくれました。

そして、これがおいしいけど、固い!
ということで、見えるでしょうか??
肉の塊の右上の方に、鳥のモモ肉がいるのが。


矯正により、固い牛肉を噛めない私のために、
一人分鶏さんを買いました。


お米のサラダと一緒に。
パラグアイでは、よくコメはサラダになって出てきます。
トマトとコーンが入っていますね。
ピーマンが入っているのもよくあります。
今回は、グリンピースを入れてあります。

写真のは、マヨネーズが多めです。
でもせっかく作ってくれたので、おいしく食べました。


そして、次の日、家族のために
“食べてくれそうな”日本料理「コロッケ」を作ってみました。
パラグアイ人は、食わず嫌いも多いので、食べるかどうかも問題なのです。

パン粉は、ほとんど粉のようなものが一般的なので、
前の日に切って乾燥させ、
ナイフで削ったり、手でもみつぶして適当な大きさに。
ゆでたじゃがいもとひき肉を混ぜて…

過程はともかく、この日は摂氏5度以下くらいで、とても寒い日でした。
もこもこした格好で作業をするわけにもいかず、
薄着で準備をしていた私は、ひき肉をなぜ冷蔵庫に入れたのか後悔。
料理をする手がかじかんで、とっても大変でした。
しかし、ここでみんながプレゼントしてくれた靴下が大活躍!

かなり時間がかかったものの、一人で大量のコロッケを作り上げました。
見た目は変ですが、味は好評でした。
よかった。



頼んでおいたケーキに4本のろうそくを立てて、火を消します。

パラグアイのケーキには、不思議なクリームが使われます。
甘すぎて、べとべとする謎のクリーム。
ですが、このケーキに使われているシャンティジと呼ばれるクリームは
甘すぎず、生クリームが苦手な私でも食べれました。
なんて素晴らしい☆

こうして、3回にわたる私の誕生祝いは終わりました。
お祝いの言葉をくれたみなさんありがとうございます。

来年はもう日本に到着してるのかな…?

2011年4月20日水曜日

エンカルナシオンの旅☆

4月15日、中学2,3年生と一緒にパラグアイ第3の都市、
エンカルナシオンに行ってきました。
片道6時間かかる道のりを日帰りにするために、
午前1時半集合、午前2時に出発しました。

それでも、中学生は興奮冷めやらぬ様子。
夜中の2時3時にも関わらず、バスの中ではしゃぎまくりです。

しかも、片道6時間かかるのにも関わらず、立たないと全員乗れない
アトゥラの普通バス。
私は、薄めの毛布を座席に敷いて、快適度のアップに努めました♫




着いたら、まず朝食を摂り、今日の目的であるダム見学の前に、
研修用施設に向かいました。 
そこで、まずビデオでダムの建設過程や電気生産量などの学習を。
(私は半分くらいしかわからなかった↓↓)       

それでも、ちょっと説明。
このダムは、パラグアイとアルゼンチンの国境に流れる
川の水を利用して、作られました。
パラグアイ、アルゼンチン共同で1973年に計画され、1983年に完成。
今では、重要なパラグアイの電気発電所です。

それから、動物のはく製や魚のホルマリン漬け、
ダム建設時に発掘された遺骨や生活用品が展示してある部屋に。
私は、子どもたちよりも興奮してみてしまいました。
だって、アルマジロとか、カピバラとうりぼうの間みたいな
日本にはいない動物がいたんだもん♫




まるで海のようなダム。
曇りだったせいもあるでしょうが、微妙な色・・・




ここから、水が放出されます。
開口付近には、ドラードなどの魚がいました。




いつ見ても、落ち着く眺め。
日本人にとって、海は心のふるさとですよね。
(これは川ですが・・・)
今回の津波の影響でパラグアイ人は水は怖い!と思っているようですが、
子どもたちは、ちょっと楽しそうに浜辺?を歩いていました。



帰りのバス、そしてお家では爆睡しましたが、
とてもいい経験になりました。
行き6時間、滞在6時間、帰り6時間の旅でしたが、
帰りのバスでも中学生はハイテンション!!
とっても楽しそうでした~♫

2011年4月14日木曜日

4月7日☆

今日は、アトゥラ市が、
「パラグアイで最も美しい市」に認定されてから15周年の日でした。
朝からパレードをし、それから広場で記念イベントがありました。
かわいい子どもたちとその後ろに写る校長先生。



アトゥラ市内のほとんどの
小中学校、高校が参加するかなり大きなイベントでした。
いつの間にかステージがこんな風になっていてびっくり☆

 


ちなみに、
アトゥラ市 最もキレイ 全国の中で。と書いています。

このビッセンテナリオは、前にも紹介しましたが、
今年5月15日を以ってパラグアイが独立200周年を迎えます。
その200周年を意味します。

そして、いつものこれ。ダンサパラグアジャ♫




また、今日で、
私たち22-1次隊が駒ヶ根訓練所に入ってちょうど1年経ちました。
この日から始まる語学訓練にびくびくしていたように感じます。
スペイン語を真剣に学びだしてから、1年が経つんだと思うと、
成長したとも、してないとも言えませんが、

1年前は、ABCや自己紹介、物の名前くらいしか知らなくて、
出てくる動詞をいちいち辞書で引いていたことを思い出すと、
(今でも辞書は引きっぱなしですが・・・)
変化ってすごいなぁと思います。

それぐらい、任地の状況も変化してくれないかなぁ・・・
ってかなり無謀なことですが、
雨の降らない空に虹は出ない。
恐れて何もしないよりは、やってみようと思います。





とてもきれいな4月7日の空・・・

2011年4月10日日曜日

チャリティーイベント

4月1,2日、首都アスンシオンで震災のための
チャイティーイベントが開かれました。
隊員の一人と、元パラグアイ隊員の方が日系人の方たちと
協力して開催されたものです。

募金されたお金は、パラグアイで生産された大豆で豆腐を作り、
それを日本に送る送料にあてがわれます。

震災の様子を写した写真が展示され、
日本食、日本の文化品(アニメや書道)なども売られていました。
マンガのスペイン語版には、ちょっと、いやかなり興味を惹かれました。

私は、参加だけして、ちょっとお手伝いをしただけなのですが、
たくさんの日系人の方と隊員とが集まって、
大きなイベントになったように思います。

このイベントに参加して、さらなる震災の悲惨な様子を知ることができました。
日本の皆さんには見慣れたものでも、
日本にいない私たちにとっては、たくさんのものが新しく映るものでした。
また、たくさんのパラグアイ人が訪れてくれました。
 震災の写真に見入るとともに、日本文化のものを購入していただき、
みなさんの思いが届いたのではないかと思います。

任地の方たちも、家族の心配をしてくださいます。
遠いから、何もない。というと、それはよかったと言ってくれます。
確かに、知り合いに誰一人として、けが人などがいないことは幸いですが、
たくさんの方が亡くなられている今、それをよかったとも言えない気持ちです。

震災の影響で、帰られたボランティアの方や一時帰国されている方もいます。
その方たちの分まで、活動できればと思いつつ、
落ち込んだり、上がったり、下がったりをしていきたいなと思います。

2011年4月1日金曜日

エイプリルフール

4月1日、日本ではエイプリルフールの日ですね!
家族に、この日は、嘘をついても許される日なんだよー! と言うと、
「パラグアイにはそんな日ないわよ!
だって、毎日嘘があふれているもの。あはははは。」
ちょっと納得してしまった私。

友達にも、教えてみました。
解説しようとしたときに、雨があがって、空に大きな虹が。
「この日は、日本では嘘をついていい日なの。
でも、今虹が出てる。これは本当よ!」 とメールすると、
「虹は見たけど、嘘をつくと同時に虹の話もしないといけないの?」 と、
聞かれました。
単に、早く教えないと虹が消えちゃう!!と思って、急いだだけなのですが、
虹が話をこんがらがせちゃったみたいです。



でも、今日嘘つけなかった。。。

2011年3月23日水曜日

クッキーの襲来

先月クッキーが学校にやってきました。
それも大量に。
去年から、政府支給の牛乳は学校にありましたが、
 今年は、クッキーもやってきました。


これが、一袋。
それが、20個ずつ大きなビニール袋に詰められています。
とりあえず、職員室的な場所に運びましたが、量が半端ないんです。
置く場所がなく、トイレ横、学習支援教室と2回引っ越しをしました。
今、学習支援教室は、ココナッツの甘い匂いでいっぱいです。
 



それにしても、 あれを毎日食べ、
売店でも何か買って食べる子どもたちにも びっくりします。
クッキー、くれるなら教科書とか机とか欲しいな・・・

本音。。。

2011年3月22日火曜日

猫ちゃん

我が家の黒猫おばあさんが最後?の出産をし、
3匹の子猫が産まれました。

色は、黒、きじ猫、灰とばらばらです。

特に、きじ猫は日本の実家で買っているのとそっくりで、お気に入りです。

それぞれに、あお、あき、はると名前をつけました。

黒なのになぜ青なのかは、なんとなくです。




灰色のハルくんは、もうよそにもらわれてしまいましたが、
他の2匹を観察したり、
なでなでしたりするのが、最近の余暇の過ごし方です。






かわいい・・・
としか言いようがありません。

学校で疲れても、お家で猫ちゃんが癒してくれます♫

2011年3月10日木曜日

喜怒哀楽

日々学校では、疲怒哀の感情と格闘しています。

いつまでたっても、私を先生だと思ってくれない子どもたち。
担任の先生がいなくなった途端、わらわらと話しだします。
立ちます。
遊びます。
けんかに発展します。

いくら注意しても、聞きません。
なんとか話しても、スペイン語を笑われます。
特に、R、とL、の違いについて。
怒った時にとっさに出るのは日本語。
いけません。
いけないんですが、しかるときほど気持ちがいっぱいいっぱいです。

今日も、早く教室から抜け出したいくらいの疲怒哀。
私の声は、かれそうでした。

そして、
最後のクラス。先生と協力してやりたかったことが、
会議が乱入。
やっぱり、私一人が教室に。

みんないきなり手を洗いに行ったり、あーだ、こーだとうるさい状態は
続いたままでしたが、
なんとか始めると、だんだん私に慣れてきてくれたのか、
ちょっと反応が早くなったような気がして、ちょっと嬉しい♫
まだまだ、全員は授業に参加はしてないけれど、
今後の右肩上がりに期待したいところ☆

さらに、最後、嬉しいことが。
宿題を2問出していたところ、ある子のノートに第3問目の問題が!!
一緒に宿題をやってくれた家族の誰かが、
きっともう1問練習をさせてくれたのだろうと思います。

それだけで、とっても嬉しい気分になりました。
疲れもふっとびます!半分くらいは。

これからも、きっと喜怒哀楽、、、喜や楽の割合は少ないだろうけど
なんとかやっていきたいな・・・

2011年3月1日火曜日

学校開始!

2月15日、いよいよ学校が始まりました。
まずは、掃除。。。そして、会議。

教室のいすや壁、天井にはたくさんの蜘蛛の巣が・・・
なぜここまで放置できるのかがよくわかりませんが、
とにかく、本気で掃除をしました。

先生たちが、なぜ、短パンサンダルで出勤してきたのか
今ならわかります。


パラグアイでは、親が、毎年学校や先生を選びます。
そのため、去年はあの学校だったけど、今年はこっちにしようかな!
っていうことができます。
さらに、去年は昼だったけど、今年は朝がいいな、とか・・・
まぁ朝の方が大人気ですけど・・・
あるクラスは、朝と昼で10人くらい差があります。。。
というわけで、学校が始まってからも、未だクラスの人数が確定しておらず、
学校は混乱状態です。

こういうとき、日本のクラス替えは先生選べないけど効率的だよな…
思っちゃいます。


さらに、今年は、雨、雨、雨!!!
23日水曜日、学校初日、朝から雨。
微妙な小雨のなか学校に行ってみると、先生方が4人いました。→なし。
午後、学校に行ってみると、子どもは20人くらいしかいませんでした。→なし。

次の日、かなりどんよりとした曇りでした。
私は、傘を持って、学校へ。
子どもたち、まぁまぁ来ていた!よかった♫
でも、学校が終わるころには、どしゃぶり。
昼休みも終わるころ、学校に行こうとすると、
ママはすでに、私服。「行っても誰もいないわよ。」→なし。
学校がまともに始ってくれません。。。

次の日、曇ったり、雨だったり・・・
子どもは割といたけど、朝8時過ぎ、停電。
先生も子どももテンションガタ落ち↓↓ ・・・昼間もずっと停電。
午後、それでもようやく学校始まる。よかった・・・
そんな先週。

日曜日。朝から晴れる!
思わず庭に出て、空に向かって「久しぶりー!!(スペイン語)」と叫ぶ私。
洗濯物もいっぱい乾きました☆

28日月曜日。すでに2月最後の日。
晴れ。ようやくほとんどの子どもたちが登校!
いやー、本当によかった。
晴れって幸せです!


毎日6時起き、7時前出勤、7時仕事開始生活がいよいよ始まりました。
それにも少し慣れてきたかな、というところ。
そして、夏休み、かなり休みを満喫していた私。
学校が始まって、やる気満々です☆
このやる気が切れない程度に、ほどほどに頑張っていきたいです♫

2011年2月17日木曜日

チャコ

2月のことですが、学校が本格的に始まる前に チャコに行ってきました。
チャコとは、パラグアイ西北部を指し、
 パラグアイ国土の半分程度を所有しているにも関わらず、 人口4%のところです。
3月に帰ってしまう先輩隊員がいるうちに!と思って行ってきました☆

2011年2月10日木曜日

帰ってきた!

久しぶりに帰ってきたパラグアイ。
やっぱり暑くて、なんとなく町が汚くて、そして騒々しくて。

アトゥラの町。
相変わらずトランキーロ(静か)。

なんだかんだいっても落ち着きます。

久しぶりにバレーに行きました。
「タント ティエーンポ!!(久しぶり)」と言ってくれるみんな。
元気かい?と普段のあいさつ。
私の居場所がちょっとずつ広がっていっている気がします。

もうすぐ、夏休みも終わり。
毎日は行けないだろうけど、続けていきたいな。

アルゼンチン旅行

こんにちは!

任国外旅行
1回目、アルゼンチンに行ってきました。













まずは、アルゼンチンの首都である、ブエノスアイレスについてのざっとした感想を述べたいと思います。

・都会、たくさんのビルがそびえている
・涼しい
・道が広い
・車が多い
・空がちょっと薄い
・海がある→魚介類もおいしい!
・バスがキレイ
・バスがバス停でしか止まらないことにびっくり!
・ついでに、ドアを閉めてからでしか出発させないところにもびっくり!
・信号がかなり機能している
・日本人を見ても驚かない
・本屋さんがたくさんある
・カフェやレストランなど、とにかくおしゃれ

・街並みがヨーロッパ風でキレイ
・人柄はさばさば
・キレイな人、おしゃれな人が多い
・公園が素晴らしい(緑たっぷり♫)
・スペイン語のイントネーションや発音が違う
・やたら、記念碑が立っている
・地下鉄が通ってる!
(切符売り場にひとがいないときはただ!)

まぁこんなかんじですが、
これらの感想、ついパラグアイと比較して感じたものです。。。
都会の雰囲気、道路や車の様子
パラグアイにはないものも多くありました。
また、パラグアイの生活習慣から来る違いもたくさんありました。
きっと日本から来ていても、
こんなに感動しなかっただろうなっていうとこばっかりです。

それから、パラグアイ人は、ほとんど英語が話せません。
ところが、観光客が多いアルゼンチンでは、多くの店員が英語を話せます。
そして、東洋人の私たちには英語で話しかけてきます。
ですが、もう英語にさよならしてから5年くらい経つ私、
とっさに英語が出てきません。
英語で質問されて、スペイン語で受け答えしてしまう私。
ちょっと情けないですが、それほどもうスペイン語の方が
ずっと関わりの深い言語になってしまっているんだなぁと感じてしまいました。


また、この旅は、同期の同い年の男の子2人と行ってきました。
どうなることかわかりませんが、
ブエノスとサルタの2編でお送りしたいと思います。


















ブエノスアイレス編

旅1日目から3日目は首都ブエノスアイレス。
いや、都会です。


これは、大統領府。その名も“カサ・ロサーダ” 「ピンクの家」という意味です。
前には、5月広場が広がっていて、ハトがたくさん飛んでいます。
国旗が青空のように爽やかですね♫



2日目はボカ地区に行きました。
ボカは、タンゴ発祥の地とされる町で、たくさんの店でタンゴが見られます。
また、お金を払えばダンサーと記念撮影もできたり☆
とても明るくて、キレイな町です。


また、ボカ地区は、建物がカラフルなことでも有名です。
パステルカラーのキレイな建物が続くだけでなく、
その一つ一つにお土産屋さんがあり、女の子なら何時間でもいられそうなところです♫
また、日本人の観光客も多いのか、やたら「ビジン」「キレイ」などの日本語を知っていました。
とくに驚いたのが、何人かの呼び込み店員さんが、
「そんなの関係ねぇ×2 ハイ、オッパッピー☆」と
小島よしおの物まねをしていました。
日本の漫画の文化だけでなく、
いよいよお笑いの文化まで流入して行っているのでしょうか??
時代はともかく、地球の反対側まで知られているってすごいことです。
そして、さらにびっくりすることが・・・!!
男2人と旅行していた私ですが・・・
  二日目の今日、なんともう一人やってきました。
これで、同期の同い年が全員そろうことになり、さらに男3人との旅行になってしまいました。
はてさて・・・
3日目は、サン・マルティン公園に行きました。




公園内は緑の木陰で涼しく、とっても落ち着く場所でした。
一日中座って過ごせそうなところです。
そして、びっくりしたのが、公園に水着でねっ転がる人々。
ブエノスでは、公園で日光浴をする人がいるそうです。

それから有名な観光地でもある墓地に行きました。
日本だと、なんでお墓??と思うかもしれませんが、
カトリック系のお墓はキレイな建物で、
それらが並んで立つと、キレイな観光地になってしまうのです。
ちなみに、パラグアイのお墓もこのようになっています。

まぁもうちょっと小規模ですが・・・


この後、すぐ近くの国立美術館に行きました。
館内はものすごく広く、ちょっと歩き疲れましたが、
有名画家の作品もあったり、
19世紀や18世紀を感じさせる絵もたくさん展示されていて、
とてもよかったです。

それから、パレルモ地区に行きました。
パレルモ地区は、ブエノスの中でも最も広い地区で、
その多くを広場が陣取っています。
ばら園に行きたかった私ですが、目的の場所に行く前に、
かなり歩くことになりました。
それぐらい広い公園なのです。公園全体は、道路を挟んで建設されており、
動物園や植物園、日本庭園なども設置されています。
そして、植物園にはバラは咲いていませんでした。。。
つきあってくれたみんなありがとう。たくさん歩かせてごめんね。。。

また、パレルモ地区にはもう一つの顔があります。
それは、おしゃれを先行する町。
町に並ぶお店はどれもモダンで、たくさんのキレイな人たちが行き来しています。
ただ買い物に来たくなる地区でした。

今日でブエノスの旅も終りです。
キレイな町、ブエノス、また来たい!!

サルタ編 ~ウマワカ渓谷~

旅4日目から6日目まで、サルタ地方に行ってきました。
サルタは、首都ブエノスから北に、飛行機で2時間ちょっとのところにあり、
緯度的には、パラグアイのアスンシオンと変わりません。
そのため、ブエノスよりはちょっとだけ暑く感じましたが、
アンデス山脈の一環、ウマワカ渓谷があることで、標高が高く、
場所によってはすごく寒いところもありました。

ここはサルタの中心地。
大きな大聖堂が二つあり、とてもきれいでした。
一つは、ピンクとクリーム色の教会で、ちょっとメルヘン。
もう一方は、エンジ色と黄色の作りでした。
写真は夜、ライトアップされたもの。



次の日は、朝早起きして、ウマワカ渓谷往復ツアーに行きました。
30人程度のバスで、ガイドさんの案内とともに、進んでいきます。
ガイドはもちろんスペイン語。
適当に聞き流したり、まじめに聞いたりしながらも
私は、写真を撮るのに夢中でした。
ここは、プルママルカ。
私が一番行きたかった7色の丘が見られるという町。
ですが、ツアーのため、滞在時間が決まっており、
時間はわずか30分間。
トイレに行くと、もう見る時間は10分もなかったけど、
ちょっとだけ、写真を撮って、お土産屋さんを通りすがるように見て、終了。
もうちょっとだけ、長くいたかったなぁと、ちょっと残念。

次は、ティルカラに。ここは宿泊した場所でもあるので、また後ほど。

そして次にウマワカで昼食をとって、ガイドさんと一緒に観光しました。
食べたのは、リャマの肉。
正直、味は微妙でしたが、めったに食べれる物でもないし、よしとする。笑

これは、高台からとった風景。
標高が2000mを超えるため、ちょっと階段を連続で登ると軽く息があがりました。
階段の途中に見える青いテントはお土産屋さん。
売っている商品はほとんど同じだけど、
そのデザインや、色がちょっとずつ違うから、思わずどの店にも
立ち寄って見てしまいます。
自分とエルマナのお土産に、鞄を買いました。




ウマワカ渓谷は、山肌が見える渓谷です。
地層の層によって色が異なり、さまざまな色の山が連なります。
久しぶりにまともな山を見た日本人の私は、
それもきれいな色をした山々に圧倒され、ついたくさんの写真を撮ってしまいました。
さて、ティルカラに戻ってきました。
ここでバスを降り、ツアーの他のお客さんたちと別れを告げます。
ティルカラは乾燥していて、たくさんのサボテンが生えています。
同じく高台から写真を撮ると、ティルカラの町が見渡せ、
小さな集落に立っている四角いおうちが、模型のように見えました。
ここは、ちょっと気候的にちょっと寒く、
町にはお土産屋さんで買ったであろうセーター(リャマ柄)を着た観光客が
たくさん歩いていました。
これが、リャマ!!
私的には、アルパカとリャマの違いがよくわかりませんが、
かわいい。
売りものの小さい置物なんか、白いふかふかがとっても愛らしい。






最終日もう一度サルタに戻って、最後のお土産周り。
私は、走り回って買い物をしました。
最後の最後にいいものを見つけることができ、
そのお土産にホームステイ先の家族も喜んでくれたので、
走ったかいあり☆ よかったです。

それでは長かった1週間もこれで終わりになりますが、
アルゼンチンとってもきれいでいいとこでした。
都会あり、その中にもくつろげる空間あり、そしておしゃれで、
大自然も残されている。
また行きたいなぁと思わせる、そんな町でした。

2011年1月26日水曜日

フットサル2

ちなみにこの青の10番がお気に入りです♫
背はちっちゃいんですが、とってもすばしっこくて、パス回しがステキです。




特に、びっくりしたのが、
相手チームの人が胸で受けたボールが、胸に当たって跳ねているその瞬間、
相手の胸とボールの隙間に入り込み、ボールを奪ってしまったのです。
いやぁステキ・・・☆
彼のチームはただいま4連勝!!このまま頑張れ☆
また、本日(25日)の最終試合はどっちも強豪チーム。
選手も、応援も、審判も、そして警察も熱い戦いとなりました。
その前の試合が、10対8という
どっちもよくゴールを決め、どっちもよく点を決められる試合だったのに比べ、
お互いに白熱も白熱、引かない試合が続き、
普段点を決めても、うんともすんとも言わない選手たちが
点が決まった際には、
オォー!!と叫び、ベンチの選手ともどもハイタッチをしたり。
互いに認めるライバルってかんじです。
ちなみに、けが人も出れば、数枚のイエローカードも出て審判も大変でした。
結果は2-1で、勝った方は、優勝したほどの喜びようでした。
このあともかなり行く末が気になります!!
そして、私のお気に入りのチームと強豪2チームとの対決もかなり見どころ☆
楽しみです!

Copia

22日(土)、
韓国の短期ボランティアの方たちとお食事会をしました。

短期なので、半年間の間、
コルディジェラ県の県庁所在地カアクペのホテルにみんなで
住んでいるそうです。

初めに、軽く自己紹介をし、食事。
そこで、びっくりしたのが、韓国人8名のうち、半分くらいの方が、
「はじめまして」「こんんちは」「私の名前は~です。」程度の
日本語を話せたことです。
また、外国語大学で日本語を専攻した方もいらっしゃり、
とても流暢な日本語で話されていました。
その方は、スペイン語より、日本語で会話できるくらいで、
「アニョハセヨ」くらいしか知らない私は、本当に尊敬するとともに、
韓国の人の日本の注目度はすごいんだな、と思いました。

というのも、日本のドラマや映画の話で盛り上がり、
同い年くらいの女性陣は、山Pや玉置宏のことでキャーキャーでした。笑

ですが、こうしてお隣韓国の方と、地球の裏側で交流するなんて
思ってもみませんでしたが、
とてもいい機会だったと思います。

3月上旬には帰ってしまうそうですが、2月末にあるカアクペのイベントで
何やら出し物をするらしく、今も練習中だそうです。
見に行けたら、またアップしたいと思いますので、よろしく~☆彡

2011年1月20日木曜日

グアラニー語

最近、ちょっとだけグアラニー語の勉強を始めました。

理由は、話したいなぁ…と思ったからです。
12月から、バレーをする場所を変えました。
そこで話されるのは、点数以外グアラニ―。

私にはスペイン語で話してくれますが、
他の会話はまるっきり意味不明でした。
そこで、ちょっと頑張ってみようかなと。

まだちょっとしたあいさつと動詞だけですが、
スペイン語と一緒にちょっとずつやっていけたらいいなと思います。

ちなみに、前行っていたところより、かなり近いし、
みんなバレーっぽいので、とてもしやすいです♫
このあいだは、とってもおかしくて、プレー中もひたすら笑ってしまいました。
スポーツ…良いストレス解消法ですね~☆彡

フットサル

最近、フットサルの試合もあっています。

アトゥラ各地区や、協同組合などから10チームが参加し、
火曜と金曜の夜あっています。


一地区に何人くらいの住人がいるのかはわかりませんが、
10チームもいて、しかもうまい人は本当にうまい!!
足元がどうなっているのかわかりません。
さらに、普通のコートよりも近くで見られ、スピードも迫力満点です☆
そんななか、我が学校の校長先生(39)も見つけました。
なんと先生も選手でした。白の9番です。
実は毎週土曜日は練習しているそうです。
さすがに、出場はちょっとだけですが、
生涯スポーツをサッカーでできるパラグアイ人はタフだなぁと思います。

だんだんお気に入りの選手も出てきました。
注目して応援したいものです。

目標

ちょっと遅くなりましたが、
今年の目標、もしくは活動の目標(精神面)を考えました。

delicada と お金 に負けない! です。
デリカーダとは、英語に近いのでわかると思いますが、
繊細という意味だと思います。

私には、どうもデリケートさが足りないようです。
そのために、パラグアイの生活を息苦しく感じることもあります。

このデリカーダを克服するためには、
私もデリカーダになるべきなのか、それとも図太く生きていくべきなのか
わかりません。
でも、「私たちはデリカーダだからやめてくれ。」
と言われて傷つくのは嫌だなぁと…


ただ、私にも困ることがあります。
それは日本とパラグアイの男女関係の考え方の違いです。

例えば、パラグアイでは
①友達でも、恋人のような意味に。
  日本では男友達はただの友達です。
  一所懸命説明しても、そういうふうに受け取られます。
  面倒です。

②人前でいちゃつくのが当たり前。
  家族の前で、いちゃつく娘たち。
  パラグアイでは男の人が彼女の家を訪ねるのが一般的です。
  そして家の庭や居間で、いちゃつきます。
  こっちがどこかへ行きたくなります。
  もし、私に恋人がいても、私はお家に招待したくありません。
  知ってる人たちの前でいちゃつくのは勘弁です。

③一夫多恋人
  パラグアイ人は何人もの彼女を持っている人も・・・
  (女性にもいるそうですが…)
  それにも関わらず、かなり嫉妬深く、矛盾しています。
これに関しては、被害はないですが(笑)
妻子持ちがナンパするのは気持ちのいいものではないですね~。

④外で男性とお酒を飲むのはよくない。
  お誕生日会やクリスマスなどで、家の中のパーティーで
  お酒を飲むのは普通です。
  しかし、外、例えば軽食やさんで男性たちと一緒にお酒を飲むことは
  先生として、だめだそうです。
  先生として、というのは頷けますが、
  私より同僚の先生方の方がお酒は好きなのに、中庭で飲んでいるから見えない。。。 
  私は、飲んでいなくても、一緒。
  なのに、フィエスタに行くのは勧められる… なぜだ!
  フィエスタこそ、酔っ払いしかいなくて危ないっていうのに。。。  

以上①、②の2点、
男友達をどう紹介してよいかわからない、
こっちの目の行き場がない、という状態で、
私だって十分デリケートじゃないんだろうかとも感じますが・・・

男女に関する異文化理解ほど大変なものはないかもしれません。


また、お金ですが、
私たちボランティアは、日本政府から生活費をいただいていますが、
家賃を払っても、贅沢をしない限り、十分なお金があります。
しかし、それを、いかに、
本当にお金を持っていないように見せるかが難しいのです。
持っていると思われると、容赦なく貸してくれと言われそうで
とても怖いです。
こちらの文化では、いいものがあったら、すぐに「ちょうだい」と言います。
こういうとき、私の苦労した学生時代を思うと悲しくなります。
とにかく、貧乏性を前面に出して、頑張るぞ!

以上、目標精神面でした。
  

2011年1月2日日曜日

うどん。

駅伝ならぬ…

今日は、2日、日曜日です。
パラグアイには3が日というものはありませんが、
今日は日曜日なので、いつもの日曜日を変わりません。

なんと正月から、
駅伝ならぬ、サッカーの試合がありました。

さっそく行ってみたところ、
アトゥラのチーム同士の試合があっていました。
正直、アトゥラがなぜ3チームもローカルチームを持っているのか謎です。

そのチームの中に見かけたのは、
以前紹介した元パラグアイ代表選手の人でした。
他にもピッキーボレーをしている人が
選手としてコート内を走り回っていました。

そして、前半も終盤に差し掛かったところ、
見事元パラグアイ選手のヘディングシュートが決まり、先制点を採りました。
私は、ひいきのチームもいませんので適当な場所で応援していたら
どうも相手チームの応援側に立っていて、
「すごーい!」とも、言いだせない雰囲気でしたが、
ゴール後の喜び方が、代表選手っぽいかんじがして
心の中で、こっそり興奮しました。

新年早々いいものが見れたような気がします。
このままいいこと続きますように・・・

2011年☆

新年あけましておめでとうございます。

パラグアイの年越しは噂どおり、クリスマスとほぼ同じでした。

12時を超えると「おめでとう!」とドズベソ。(ほっぺのあいさつ)
花火があちこちでどっかん!
しかし、フィエスタに来る人数は、
クリスマスの比ではなく、ほぼ会場が埋め尽くされるほどでした。
私は覗いただけ・・・
でも朝の6時まであって、大変でした。

みんな、日本の年越しに、フィエスタをせずに何をするの?
というかんじでしたが・・・
とりあえず、
そばを食べて、初詣に行って、初日の出を見て、おせちを食べるんだよ。
と言うと、「なんで寺?」「なんで太陽見るの?」というかんじでした。
よく思いますが、日本のことを聞きたがる割に、
話すと、あまりの違いに興味を無くされるような気がします。
なんででしょうか。。。?

でも、クリスマスよりもすることがたくさんあり、
やはり日本では、
クリスマスよりもお正月が家族にとって大事な行事なんだなと感じました。

結局、その夜しかお正月らしいことは感じないまま、
夏の元旦は過ぎていきました。

今年はうさぎ年、年女です。
うさぎのように躍進できる年に☆
頑張ります。乞うご期待☆