パラグアイのクリスマスは、なんだか明るいです。
暑くって、全然それらしくないんですが・・・
・各家庭が、イルミネーションで彩られる。
・首都のお店は、かなりすごい模様のイルミネーション。
・道端にも、天使型のイルミネーション。
とっても、キレイです。
私的には、気に入っています。
それから、庭や軒下に、キリスト誕生の様子を表す人形を飾ります。
ぺセーブレと言います。
今年は、どこの家もパワーアップしているように感じました。
藁ぶきの屋根に、芝生、
ツリーにつけるような飾りを屋根から糸でたらし、
屋根や床をイルミネーションで装飾。
でかいものには、高さ1m以上のものもありました。
信仰心の現れなのかわかりませんが、
現代キリストは、とてもきらびやかな世界で誕生を
お祝いされるようです。
飲み物。
シードラというリンゴ味のシャンパンのようなお酒をよく飲みます。
子どもも飲んでいます。(いいのかしら・・・)
クレリコ・・・フルーツポンチにワインを入れたようなもの。
クリスマスにもお正月にもよく飲まれます。
2011年12月20日火曜日
2011年12月10日土曜日
夏休みの仕事☆
夏休みを利用して、現地の先生方を対象に
「指導書」を作成することになりました。
学校では、決まったテキストがなく、
先生方個人個人がテキストを購入し、使用しています。
毎週、授業計画を教頭先生に提出しなければなりませんが、
見通しが持てない先生の場合、
テキストをめくって、してないページを片っ端からやっていく先生もいます。
テキストも、似たような問題を載せたり、
基礎内容が薄く、いきなり難しい問題が出題されることもあります。
つまり、取捨選択の力がかなり必要とされます。
そんな先生方の混乱・負担をちょっとでも軽くするために、作成に至りました。
ということで、12月5日から3日間、さっそく首都の連絡所にて、
算数隊員合宿!
その前に、分担を決め、単元の流れをざっと予習。
合宿当日は、みんなで形式を確認し、まずは単元計画をスペイン語に。
すると、問題が・・・
実はけっこう任地や配属先の学校で使用する用語に違いがありました。
これらを辞書やこれまで使用したノートなどで調べ上げ、統一。
そして、指導案づくり。
正直、日本語でも作るの大変です。
さらに、私のレベルは実習生。
ちょっと、いやだいぶ精神的にきつい仕事が始まりました。
それから、2月、学校が始まる前に私の任地アトゥラで講習会を行うことになりました。
ちょっとこれまでよりも、レベルを挙げて、内容を変更することに。
また、一から講習会準備です。
この二つの完成と成功を目指して、夏休みやってきます!
「指導書」を作成することになりました。
学校では、決まったテキストがなく、
先生方個人個人がテキストを購入し、使用しています。
毎週、授業計画を教頭先生に提出しなければなりませんが、
見通しが持てない先生の場合、
テキストをめくって、してないページを片っ端からやっていく先生もいます。
テキストも、似たような問題を載せたり、
基礎内容が薄く、いきなり難しい問題が出題されることもあります。
つまり、取捨選択の力がかなり必要とされます。
そんな先生方の混乱・負担をちょっとでも軽くするために、作成に至りました。
ということで、12月5日から3日間、さっそく首都の連絡所にて、
算数隊員合宿!
その前に、分担を決め、単元の流れをざっと予習。
合宿当日は、みんなで形式を確認し、まずは単元計画をスペイン語に。
すると、問題が・・・
実はけっこう任地や配属先の学校で使用する用語に違いがありました。
これらを辞書やこれまで使用したノートなどで調べ上げ、統一。
そして、指導案づくり。
正直、日本語でも作るの大変です。
さらに、私のレベルは実習生。
ちょっと、いやだいぶ精神的にきつい仕事が始まりました。
それから、2月、学校が始まる前に私の任地アトゥラで講習会を行うことになりました。
ちょっとこれまでよりも、レベルを挙げて、内容を変更することに。
また、一から講習会準備です。
この二つの完成と成功を目指して、夏休みやってきます!
2011年12月1日木曜日
パラグアイの夏
パラグアイの夏に飲むものと言えば、
テレレ!
というか、今までこれを紹介せずにすみません。
これは、パラグアイの文化で最も代表的なものです。
グアンパと呼ばれる湯呑に、ジェルバ(お茶っぱ)を入れ、
でかい水筒(氷を入れるため)には、また別の草を軽く叩いていれ、
それをグアンパにいれて、
ボンビージャ(こせるようになっているストロー)で吸って飲みます。
一人がついで、みんなで回し飲みするのがテレレです。
*ちなみに、お湯でやる場合はマテと言います。
初めは、慣れないものですが、
もはや今は、このテレレなしでは生きていけないのでは?
という具合に、生活に密着しています。
知らない人とでも、テレレを飲めば友達になれる。
そんな飲み物、テレレ。
テレレ!
というか、今までこれを紹介せずにすみません。
これは、パラグアイの文化で最も代表的なものです。
グアンパと呼ばれる湯呑に、ジェルバ(お茶っぱ)を入れ、
でかい水筒(氷を入れるため)には、また別の草を軽く叩いていれ、
それをグアンパにいれて、
ボンビージャ(こせるようになっているストロー)で吸って飲みます。
一人がついで、みんなで回し飲みするのがテレレです。
*ちなみに、お湯でやる場合はマテと言います。
初めは、慣れないものですが、
もはや今は、このテレレなしでは生きていけないのでは?
という具合に、生活に密着しています。
知らない人とでも、テレレを飲めば友達になれる。
そんな飲み物、テレレ。
2011年10月24日月曜日
ひょう
ひょうが降りました。
パラグアイではそんなに珍しいことではありません。
でも、初めての経験だったので、つい写真に収めました。
ちょうど、ベッドに横になったとき、
天井から変な音が聞こえてきました。
もしやと思って、カーテンの隙間から覗いてみると、
巨峯サイズの氷のつぶてががんがん落ちてきています。
外に出ては、危険だったので窓からこっそり写真をとりました。
私は、そのまま寝てしまいましたが、
家族は天井が壊れるのを夢の中で恐れていたみたいです。
結局は眠気に負けて、そのまま寝ていたようですが…
それにしても、昼外にいるときの時間帯でなくてよかったです。
ではでは。
2011年10月23日日曜日
お知らせの写真
写真が順番通りにならなかっので、
載っている順に紹介します。
原爆展(8月4日の様子)
中学生を対象に話しています。
実際には、時間を分けて、小学1年生から中学3年生までの
みんなを対象にクラスを開きました。
協同組合のサロンで。
最後に、書いてもらったメッセージカードと一緒に記念撮影。
オレンジ色のカードがそれです。
9月2,3日に行った算数の講習会後に撮った写真。
みんな、作成した教材を手に、嬉しそうな顔で写っています。
今年も毎日のように行ったEXPO。
革製品がたくさん売られています。
市の創立記念日に行われた、行進パレードに
日本の国旗を手に、ゆかたで参加してみました。
たくさん写真を撮られました☆
今年と言えば…Bicentenario!!!
パラグアイ独立200周年です。
1811年5月15日→2011年5月15日
この人らが、独立に関与した偉人やパラグアイを代表する偉人たち。
何人かはお札になっています。
以上、この間の補足写真です。
2011年10月22日土曜日
お知らせ
みなさん、長い間更新をおやすみしてすみませんでした。
これまでの全部をブログに載せることは難しいと思いますが、
これまでの何ヶ月間、主に何をしてきたのかだけでも、ちょっと紹介したいと思います。
<4月>
21,22日 セマナ・サンタ(復活祭) 日本で言うお盆のようなもの。
木曜日にはチパ(パラグアイの伝統スナック)を食べ、
金曜日には肉を食べてはいけません。家はなぜか食べた・・・
30日 1本目の親知らずを抜きました。意外と5分くらいで抜けてびっくり!
<5月>
14,15日 Bicentenario パラグアイ独立200周年。
14日には任地でdesfile(行進)を、
15日には首都で各国から来た団体がパレードが行われました。
21日 さらに、親知らず2本を2本抜きました。
ほっぺたが腫れてまるでリス。
<6月>
3日 算数の講習会を行いました。初めてでかなり緊張。
4日 上の歯に矯正装置をつけました。これで肉を食べるのが相当つらくなった。
11日 下の歯にも装置装着。
12日 任地の先輩の誕生日会&送別会 寂しくなるなぁ。。
24日 San Juan と呼ばれるキリスト教の行事がありました。
恋占いをしたり、火を使った遊びをしたりと盛りだくさん☆
25日 バレー仲間と誕生日会。みんな牛肉だけど、私専用に鶏肉を準備♪
26日 家族と誕生日会。コロッケとメンチカツを作りました☆
27日 パラグアイで0度観測。学校の芝生には霜が降りて、
水たまりには氷が張っていました。
<7月>
1日 San Juanのイベントを学校で。
大学の学祭のようにたくさんの屋台の食べ物を作って売りました。
2,3日 同期の誕生日会に行ってきました。うどんを作って食べました。
それから寒すぎて、手がしもやけだらけに。。。
11日 冬休みがやってきました。
そのほとんどを原爆展の準備に費やし、あまり休めなかった。。。
ビーズアクセサリーを作って、ちょっとだけ気分転換。
<8月>
2,3,4日 同期の隊員の学校と私の学校で原爆展を行いました。
新出単語にかなり苦戦。とても大変でした。
でも、子どもたちがたくさん感想を書いていて嬉しかったな。
5日 JICA主催の安全対策委員会&隊員の歓迎送別会
7日 アスンシオンマラソンに参加!見事ハーフマラソン完走。(練習3回)
練習していないせいで、かなりしんどかったですが、
首都の大通りを走れたのは爽快☆
15日 首都アスンシオン市の創立記念日。
祝日を利用してアレグアにいちごのEXPOに行ってきました。
20日 イグアス移住地50周年を記念したイベントに行ってきました。
日系人の方にたくさんお会いしました。会場でピーナッツバターを発見!
思わず購入し、しばらくはパンのお供に。
<9月>
2、3日 第2回目の算数講習会を行いました。
2日目は土曜日にも関わらず、教材作成のために来てくださった先生方が
たくさんいらっしゃってよかった♪ 最後は満面の笑みで帰ってくれました。
9日 最後の原爆展を実施。前回よりもスペイン語が滑らかに話せてよかった。
終わったーーー!って気持ちです。
15日くらい。ちょっくら周辺校をのぞきに行ってみました。
次の週から、ちょっとだけ通うことに。
17日 早朝から大雨。さらに雷が落ち、多くの家庭の電化製品がやられる!
私もパソコンのアダプターが、、、でも回復してよかった!
21日 春が来ました。恒例のパレードを。
23日 ルケの銀細工のEXPOに行きました。ピアスを一個購入♪
24日 EXPO~cuero~が始まりました。去年よりもお店が若干増えていた!
29日 EXPOのマラソン大会に参加。なんと女性18歳以上の参加者は一人。
どんなに頑張っても頑張らなくても1番でしたが、8kmを完走!
(ちなみに高校生女子は3km)
30日 ミスEXPOが開催。
衣装替え中の出し物が今日年よりも数倍パワーアップ↑↑
<10月>
1日 朝から土砂降り。何もかもが雨で中止。次の日から3日間半停電が続く。
2日 高校の50周年を記念して、卒業生も含めたDesfile。
なんと私はJICA代表として、来賓席に座らせてもらいました。笑
3日 アトゥラ中の学校のDesfile。今年は、浴衣で参加してみました。
着付けは前の晩に練習。笑
EXPOの記念に、お父さんにプレゼントを買ってみました。
4日 ヒネテアーダ。たくさんの馬が来て、ショーのようなことやっていました。
6日 同期の隊員の学校へ教材作成講習の補助に。
私がコンパスで一生懸命作った時計の教材をみんながコピーして使っていた。
これで、お隣カアクペ市の時計の教材はみんな私デザイン☆笑
10,11,12日 パラグアイ全国の公立学校が給料upのためにストライキ。
お願いだから、働いて夏休みにデモ行進でもなんでもやってくれー。
23日 アトゥラ市選抜のサッカーの試合を見に行く予定。
と、まぁ、こんな感じです。
写真も余裕があれば、載せたいと思っています。
これまでの全部をブログに載せることは難しいと思いますが、
これまでの何ヶ月間、主に何をしてきたのかだけでも、ちょっと紹介したいと思います。
<4月>
21,22日 セマナ・サンタ(復活祭) 日本で言うお盆のようなもの。
木曜日にはチパ(パラグアイの伝統スナック)を食べ、
金曜日には肉を食べてはいけません。家はなぜか食べた・・・
30日 1本目の親知らずを抜きました。意外と5分くらいで抜けてびっくり!
<5月>
14,15日 Bicentenario パラグアイ独立200周年。
14日には任地でdesfile(行進)を、
15日には首都で各国から来た団体がパレードが行われました。
21日 さらに、親知らず2本を2本抜きました。
ほっぺたが腫れてまるでリス。
<6月>
3日 算数の講習会を行いました。初めてでかなり緊張。
4日 上の歯に矯正装置をつけました。これで肉を食べるのが相当つらくなった。
11日 下の歯にも装置装着。
12日 任地の先輩の誕生日会&送別会 寂しくなるなぁ。。
24日 San Juan と呼ばれるキリスト教の行事がありました。
恋占いをしたり、火を使った遊びをしたりと盛りだくさん☆
25日 バレー仲間と誕生日会。みんな牛肉だけど、私専用に鶏肉を準備♪
26日 家族と誕生日会。コロッケとメンチカツを作りました☆
27日 パラグアイで0度観測。学校の芝生には霜が降りて、
水たまりには氷が張っていました。
<7月>
1日 San Juanのイベントを学校で。
大学の学祭のようにたくさんの屋台の食べ物を作って売りました。
2,3日 同期の誕生日会に行ってきました。うどんを作って食べました。
それから寒すぎて、手がしもやけだらけに。。。
11日 冬休みがやってきました。
そのほとんどを原爆展の準備に費やし、あまり休めなかった。。。
ビーズアクセサリーを作って、ちょっとだけ気分転換。
<8月>
2,3,4日 同期の隊員の学校と私の学校で原爆展を行いました。
新出単語にかなり苦戦。とても大変でした。
でも、子どもたちがたくさん感想を書いていて嬉しかったな。
5日 JICA主催の安全対策委員会&隊員の歓迎送別会
7日 アスンシオンマラソンに参加!見事ハーフマラソン完走。(練習3回)
練習していないせいで、かなりしんどかったですが、
首都の大通りを走れたのは爽快☆
15日 首都アスンシオン市の創立記念日。
祝日を利用してアレグアにいちごのEXPOに行ってきました。
20日 イグアス移住地50周年を記念したイベントに行ってきました。
日系人の方にたくさんお会いしました。会場でピーナッツバターを発見!
思わず購入し、しばらくはパンのお供に。
<9月>
2、3日 第2回目の算数講習会を行いました。
2日目は土曜日にも関わらず、教材作成のために来てくださった先生方が
たくさんいらっしゃってよかった♪ 最後は満面の笑みで帰ってくれました。
9日 最後の原爆展を実施。前回よりもスペイン語が滑らかに話せてよかった。
終わったーーー!って気持ちです。
15日くらい。ちょっくら周辺校をのぞきに行ってみました。
次の週から、ちょっとだけ通うことに。
17日 早朝から大雨。さらに雷が落ち、多くの家庭の電化製品がやられる!
私もパソコンのアダプターが、、、でも回復してよかった!
21日 春が来ました。恒例のパレードを。
23日 ルケの銀細工のEXPOに行きました。ピアスを一個購入♪
24日 EXPO~cuero~が始まりました。去年よりもお店が若干増えていた!
29日 EXPOのマラソン大会に参加。なんと女性18歳以上の参加者は一人。
どんなに頑張っても頑張らなくても1番でしたが、8kmを完走!
(ちなみに高校生女子は3km)
30日 ミスEXPOが開催。
衣装替え中の出し物が今日年よりも数倍パワーアップ↑↑
<10月>
1日 朝から土砂降り。何もかもが雨で中止。次の日から3日間半停電が続く。
2日 高校の50周年を記念して、卒業生も含めたDesfile。
なんと私はJICA代表として、来賓席に座らせてもらいました。笑
3日 アトゥラ中の学校のDesfile。今年は、浴衣で参加してみました。
着付けは前の晩に練習。笑
EXPOの記念に、お父さんにプレゼントを買ってみました。
4日 ヒネテアーダ。たくさんの馬が来て、ショーのようなことやっていました。
6日 同期の隊員の学校へ教材作成講習の補助に。
私がコンパスで一生懸命作った時計の教材をみんながコピーして使っていた。
これで、お隣カアクペ市の時計の教材はみんな私デザイン☆笑
10,11,12日 パラグアイ全国の公立学校が給料upのためにストライキ。
お願いだから、働いて夏休みにデモ行進でもなんでもやってくれー。
23日 アトゥラ市選抜のサッカーの試合を見に行く予定。
と、まぁ、こんな感じです。
写真も余裕があれば、載せたいと思っています。
2011年6月30日木曜日
Cumpleaños!
パラグアイでの、最初で最後の誕生日がやってきました!
6月20日、梅雨。
人生で初めて、冬に誕生を迎えました。
同期の隊員からもらったプレゼントは、
グアンパ(湯のみ?コップ←今後きちんと紹介します)と毛糸の靴下。
まさに冬を感じさせます。
その日の昼ごはんと一緒に写真にしてみました。
パラグアイでは、誕生日会は開かれるものではなく、開くものです。
そこで、私もささやかに開いてみました。
バレー仲間とアサード(=焼き肉)
誕生日やお祝い事と言えば、これ、アサードです。
日本のように切ってから焼くのではなく、
塊を炭火で時間をかけて焼いて食べます。
炭をおこしたり、肉を焼いたり、サラダを作ったり、
準備はみんながしてくれました。
そして、これがおいしいけど、固い!
ということで、見えるでしょうか??
肉の塊の右上の方に、鳥のモモ肉がいるのが。
矯正により、固い牛肉を噛めない私のために、
一人分鶏さんを買いました。
お米のサラダと一緒に。
パラグアイでは、よくコメはサラダになって出てきます。
トマトとコーンが入っていますね。
ピーマンが入っているのもよくあります。
今回は、グリンピースを入れてあります。
写真のは、マヨネーズが多めです。
でもせっかく作ってくれたので、おいしく食べました。
そして、次の日、家族のために
“食べてくれそうな”日本料理「コロッケ」を作ってみました。
パラグアイ人は、食わず嫌いも多いので、食べるかどうかも問題なのです。
パン粉は、ほとんど粉のようなものが一般的なので、
前の日に切って乾燥させ、
ナイフで削ったり、手でもみつぶして適当な大きさに。
ゆでたじゃがいもとひき肉を混ぜて…
過程はともかく、この日は摂氏5度以下くらいで、とても寒い日でした。
もこもこした格好で作業をするわけにもいかず、
薄着で準備をしていた私は、ひき肉をなぜ冷蔵庫に入れたのか後悔。
料理をする手がかじかんで、とっても大変でした。
しかし、ここでみんながプレゼントしてくれた靴下が大活躍!
かなり時間がかかったものの、一人で大量のコロッケを作り上げました。
見た目は変ですが、味は好評でした。
よかった。
頼んでおいたケーキに4本のろうそくを立てて、火を消します。
パラグアイのケーキには、不思議なクリームが使われます。
甘すぎて、べとべとする謎のクリーム。
ですが、このケーキに使われているシャンティジと呼ばれるクリームは
甘すぎず、生クリームが苦手な私でも食べれました。
なんて素晴らしい☆
こうして、3回にわたる私の誕生祝いは終わりました。
お祝いの言葉をくれたみなさんありがとうございます。
来年はもう日本に到着してるのかな…?
6月20日、梅雨。
人生で初めて、冬に誕生を迎えました。
同期の隊員からもらったプレゼントは、
グアンパ(湯のみ?コップ←今後きちんと紹介します)と毛糸の靴下。
まさに冬を感じさせます。
その日の昼ごはんと一緒に写真にしてみました。
パラグアイでは、誕生日会は開かれるものではなく、開くものです。
そこで、私もささやかに開いてみました。
バレー仲間とアサード(=焼き肉)
誕生日やお祝い事と言えば、これ、アサードです。
日本のように切ってから焼くのではなく、
塊を炭火で時間をかけて焼いて食べます。
炭をおこしたり、肉を焼いたり、サラダを作ったり、
準備はみんながしてくれました。
そして、これがおいしいけど、固い!
ということで、見えるでしょうか??
肉の塊の右上の方に、鳥のモモ肉がいるのが。
矯正により、固い牛肉を噛めない私のために、
一人分鶏さんを買いました。
お米のサラダと一緒に。
パラグアイでは、よくコメはサラダになって出てきます。
トマトとコーンが入っていますね。
ピーマンが入っているのもよくあります。
今回は、グリンピースを入れてあります。
写真のは、マヨネーズが多めです。
でもせっかく作ってくれたので、おいしく食べました。
そして、次の日、家族のために
“食べてくれそうな”日本料理「コロッケ」を作ってみました。
パラグアイ人は、食わず嫌いも多いので、食べるかどうかも問題なのです。
パン粉は、ほとんど粉のようなものが一般的なので、
前の日に切って乾燥させ、
ナイフで削ったり、手でもみつぶして適当な大きさに。
ゆでたじゃがいもとひき肉を混ぜて…
過程はともかく、この日は摂氏5度以下くらいで、とても寒い日でした。
もこもこした格好で作業をするわけにもいかず、
薄着で準備をしていた私は、ひき肉をなぜ冷蔵庫に入れたのか後悔。
料理をする手がかじかんで、とっても大変でした。
しかし、ここでみんながプレゼントしてくれた靴下が大活躍!
かなり時間がかかったものの、一人で大量のコロッケを作り上げました。
見た目は変ですが、味は好評でした。
よかった。
頼んでおいたケーキに4本のろうそくを立てて、火を消します。
パラグアイのケーキには、不思議なクリームが使われます。
甘すぎて、べとべとする謎のクリーム。
ですが、このケーキに使われているシャンティジと呼ばれるクリームは
甘すぎず、生クリームが苦手な私でも食べれました。
なんて素晴らしい☆
こうして、3回にわたる私の誕生祝いは終わりました。
お祝いの言葉をくれたみなさんありがとうございます。
来年はもう日本に到着してるのかな…?
2011年4月20日水曜日
エンカルナシオンの旅☆
4月15日、中学2,3年生と一緒にパラグアイ第3の都市、
エンカルナシオンに行ってきました。
片道6時間かかる道のりを日帰りにするために、
午前1時半集合、午前2時に出発しました。
それでも、中学生は興奮冷めやらぬ様子。
夜中の2時3時にも関わらず、バスの中ではしゃぎまくりです。
しかも、片道6時間かかるのにも関わらず、立たないと全員乗れない
アトゥラの普通バス。
私は、薄めの毛布を座席に敷いて、快適度のアップに努めました♫

着いたら、まず朝食を摂り、今日の目的であるダム見学の前に、
研修用施設に向かいました。
そこで、まずビデオでダムの建設過程や電気生産量などの学習を。
(私は半分くらいしかわからなかった↓↓)
それでも、ちょっと説明。
このダムは、パラグアイとアルゼンチンの国境に流れる
川の水を利用して、作られました。
パラグアイ、アルゼンチン共同で1973年に計画され、1983年に完成。
今では、重要なパラグアイの電気発電所です。
それから、動物のはく製や魚のホルマリン漬け、
ダム建設時に発掘された遺骨や生活用品が展示してある部屋に。
私は、子どもたちよりも興奮してみてしまいました。
だって、アルマジロとか、カピバラとうりぼうの間みたいな
日本にはいない動物がいたんだもん♫

まるで海のようなダム。
曇りだったせいもあるでしょうが、微妙な色・・・
エンカルナシオンに行ってきました。
片道6時間かかる道のりを日帰りにするために、
午前1時半集合、午前2時に出発しました。
それでも、中学生は興奮冷めやらぬ様子。
夜中の2時3時にも関わらず、バスの中ではしゃぎまくりです。
しかも、片道6時間かかるのにも関わらず、立たないと全員乗れない
アトゥラの普通バス。
私は、薄めの毛布を座席に敷いて、快適度のアップに努めました♫
着いたら、まず朝食を摂り、今日の目的であるダム見学の前に、
研修用施設に向かいました。
そこで、まずビデオでダムの建設過程や電気生産量などの学習を。
(私は半分くらいしかわからなかった↓↓)
それでも、ちょっと説明。
このダムは、パラグアイとアルゼンチンの国境に流れる
川の水を利用して、作られました。
パラグアイ、アルゼンチン共同で1973年に計画され、1983年に完成。
今では、重要なパラグアイの電気発電所です。
それから、動物のはく製や魚のホルマリン漬け、
ダム建設時に発掘された遺骨や生活用品が展示してある部屋に。
私は、子どもたちよりも興奮してみてしまいました。
だって、アルマジロとか、カピバラとうりぼうの間みたいな
日本にはいない動物がいたんだもん♫
まるで海のようなダム。
曇りだったせいもあるでしょうが、微妙な色・・・
開口付近には、ドラードなどの魚がいました。
2011年4月14日木曜日
4月7日☆
今日は、アトゥラ市が、
「パラグアイで最も美しい市」に認定されてから15周年の日でした。
朝からパレードをし、それから広場で記念イベントがありました。
かわいい子どもたちとその後ろに写る校長先生。
アトゥラ市内のほとんどの
「パラグアイで最も美しい市」に認定されてから15周年の日でした。
朝からパレードをし、それから広場で記念イベントがありました。
かわいい子どもたちとその後ろに写る校長先生。
アトゥラ市内のほとんどの
小中学校、高校が参加するかなり大きなイベントでした。
2011年4月10日日曜日
チャリティーイベント
4月1,2日、首都アスンシオンで震災のための
チャイティーイベントが開かれました。
隊員の一人と、元パラグアイ隊員の方が日系人の方たちと
協力して開催されたものです。
募金されたお金は、パラグアイで生産された大豆で豆腐を作り、
それを日本に送る送料にあてがわれます。
震災の様子を写した写真が展示され、
日本食、日本の文化品(アニメや書道)なども売られていました。
マンガのスペイン語版には、ちょっと、いやかなり興味を惹かれました。
私は、参加だけして、ちょっとお手伝いをしただけなのですが、
たくさんの日系人の方と隊員とが集まって、
大きなイベントになったように思います。
このイベントに参加して、さらなる震災の悲惨な様子を知ることができました。
日本の皆さんには見慣れたものでも、
日本にいない私たちにとっては、たくさんのものが新しく映るものでした。
また、たくさんのパラグアイ人が訪れてくれました。
震災の写真に見入るとともに、日本文化のものを購入していただき、
みなさんの思いが届いたのではないかと思います。
任地の方たちも、家族の心配をしてくださいます。
遠いから、何もない。というと、それはよかったと言ってくれます。
確かに、知り合いに誰一人として、けが人などがいないことは幸いですが、
たくさんの方が亡くなられている今、それをよかったとも言えない気持ちです。
震災の影響で、帰られたボランティアの方や一時帰国されている方もいます。
その方たちの分まで、活動できればと思いつつ、
落ち込んだり、上がったり、下がったりをしていきたいなと思います。
チャイティーイベントが開かれました。
隊員の一人と、元パラグアイ隊員の方が日系人の方たちと
協力して開催されたものです。
募金されたお金は、パラグアイで生産された大豆で豆腐を作り、
それを日本に送る送料にあてがわれます。
震災の様子を写した写真が展示され、
日本食、日本の文化品(アニメや書道)なども売られていました。
マンガのスペイン語版には、ちょっと、いやかなり興味を惹かれました。
私は、参加だけして、ちょっとお手伝いをしただけなのですが、
たくさんの日系人の方と隊員とが集まって、
大きなイベントになったように思います。
このイベントに参加して、さらなる震災の悲惨な様子を知ることができました。
日本の皆さんには見慣れたものでも、
日本にいない私たちにとっては、たくさんのものが新しく映るものでした。
また、たくさんのパラグアイ人が訪れてくれました。
震災の写真に見入るとともに、日本文化のものを購入していただき、
みなさんの思いが届いたのではないかと思います。
任地の方たちも、家族の心配をしてくださいます。
遠いから、何もない。というと、それはよかったと言ってくれます。
確かに、知り合いに誰一人として、けが人などがいないことは幸いですが、
たくさんの方が亡くなられている今、それをよかったとも言えない気持ちです。
震災の影響で、帰られたボランティアの方や一時帰国されている方もいます。
その方たちの分まで、活動できればと思いつつ、
落ち込んだり、上がったり、下がったりをしていきたいなと思います。
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