2011年2月17日木曜日

チャコ

2月のことですが、学校が本格的に始まる前に チャコに行ってきました。
チャコとは、パラグアイ西北部を指し、
 パラグアイ国土の半分程度を所有しているにも関わらず、 人口4%のところです。
3月に帰ってしまう先輩隊員がいるうちに!と思って行ってきました☆

2011年2月10日木曜日

帰ってきた!

久しぶりに帰ってきたパラグアイ。
やっぱり暑くて、なんとなく町が汚くて、そして騒々しくて。

アトゥラの町。
相変わらずトランキーロ(静か)。

なんだかんだいっても落ち着きます。

久しぶりにバレーに行きました。
「タント ティエーンポ!!(久しぶり)」と言ってくれるみんな。
元気かい?と普段のあいさつ。
私の居場所がちょっとずつ広がっていっている気がします。

もうすぐ、夏休みも終わり。
毎日は行けないだろうけど、続けていきたいな。

アルゼンチン旅行

こんにちは!

任国外旅行
1回目、アルゼンチンに行ってきました。













まずは、アルゼンチンの首都である、ブエノスアイレスについてのざっとした感想を述べたいと思います。

・都会、たくさんのビルがそびえている
・涼しい
・道が広い
・車が多い
・空がちょっと薄い
・海がある→魚介類もおいしい!
・バスがキレイ
・バスがバス停でしか止まらないことにびっくり!
・ついでに、ドアを閉めてからでしか出発させないところにもびっくり!
・信号がかなり機能している
・日本人を見ても驚かない
・本屋さんがたくさんある
・カフェやレストランなど、とにかくおしゃれ

・街並みがヨーロッパ風でキレイ
・人柄はさばさば
・キレイな人、おしゃれな人が多い
・公園が素晴らしい(緑たっぷり♫)
・スペイン語のイントネーションや発音が違う
・やたら、記念碑が立っている
・地下鉄が通ってる!
(切符売り場にひとがいないときはただ!)

まぁこんなかんじですが、
これらの感想、ついパラグアイと比較して感じたものです。。。
都会の雰囲気、道路や車の様子
パラグアイにはないものも多くありました。
また、パラグアイの生活習慣から来る違いもたくさんありました。
きっと日本から来ていても、
こんなに感動しなかっただろうなっていうとこばっかりです。

それから、パラグアイ人は、ほとんど英語が話せません。
ところが、観光客が多いアルゼンチンでは、多くの店員が英語を話せます。
そして、東洋人の私たちには英語で話しかけてきます。
ですが、もう英語にさよならしてから5年くらい経つ私、
とっさに英語が出てきません。
英語で質問されて、スペイン語で受け答えしてしまう私。
ちょっと情けないですが、それほどもうスペイン語の方が
ずっと関わりの深い言語になってしまっているんだなぁと感じてしまいました。


また、この旅は、同期の同い年の男の子2人と行ってきました。
どうなることかわかりませんが、
ブエノスとサルタの2編でお送りしたいと思います。


















ブエノスアイレス編

旅1日目から3日目は首都ブエノスアイレス。
いや、都会です。


これは、大統領府。その名も“カサ・ロサーダ” 「ピンクの家」という意味です。
前には、5月広場が広がっていて、ハトがたくさん飛んでいます。
国旗が青空のように爽やかですね♫



2日目はボカ地区に行きました。
ボカは、タンゴ発祥の地とされる町で、たくさんの店でタンゴが見られます。
また、お金を払えばダンサーと記念撮影もできたり☆
とても明るくて、キレイな町です。


また、ボカ地区は、建物がカラフルなことでも有名です。
パステルカラーのキレイな建物が続くだけでなく、
その一つ一つにお土産屋さんがあり、女の子なら何時間でもいられそうなところです♫
また、日本人の観光客も多いのか、やたら「ビジン」「キレイ」などの日本語を知っていました。
とくに驚いたのが、何人かの呼び込み店員さんが、
「そんなの関係ねぇ×2 ハイ、オッパッピー☆」と
小島よしおの物まねをしていました。
日本の漫画の文化だけでなく、
いよいよお笑いの文化まで流入して行っているのでしょうか??
時代はともかく、地球の反対側まで知られているってすごいことです。
そして、さらにびっくりすることが・・・!!
男2人と旅行していた私ですが・・・
  二日目の今日、なんともう一人やってきました。
これで、同期の同い年が全員そろうことになり、さらに男3人との旅行になってしまいました。
はてさて・・・
3日目は、サン・マルティン公園に行きました。




公園内は緑の木陰で涼しく、とっても落ち着く場所でした。
一日中座って過ごせそうなところです。
そして、びっくりしたのが、公園に水着でねっ転がる人々。
ブエノスでは、公園で日光浴をする人がいるそうです。

それから有名な観光地でもある墓地に行きました。
日本だと、なんでお墓??と思うかもしれませんが、
カトリック系のお墓はキレイな建物で、
それらが並んで立つと、キレイな観光地になってしまうのです。
ちなみに、パラグアイのお墓もこのようになっています。

まぁもうちょっと小規模ですが・・・


この後、すぐ近くの国立美術館に行きました。
館内はものすごく広く、ちょっと歩き疲れましたが、
有名画家の作品もあったり、
19世紀や18世紀を感じさせる絵もたくさん展示されていて、
とてもよかったです。

それから、パレルモ地区に行きました。
パレルモ地区は、ブエノスの中でも最も広い地区で、
その多くを広場が陣取っています。
ばら園に行きたかった私ですが、目的の場所に行く前に、
かなり歩くことになりました。
それぐらい広い公園なのです。公園全体は、道路を挟んで建設されており、
動物園や植物園、日本庭園なども設置されています。
そして、植物園にはバラは咲いていませんでした。。。
つきあってくれたみんなありがとう。たくさん歩かせてごめんね。。。

また、パレルモ地区にはもう一つの顔があります。
それは、おしゃれを先行する町。
町に並ぶお店はどれもモダンで、たくさんのキレイな人たちが行き来しています。
ただ買い物に来たくなる地区でした。

今日でブエノスの旅も終りです。
キレイな町、ブエノス、また来たい!!

サルタ編 ~ウマワカ渓谷~

旅4日目から6日目まで、サルタ地方に行ってきました。
サルタは、首都ブエノスから北に、飛行機で2時間ちょっとのところにあり、
緯度的には、パラグアイのアスンシオンと変わりません。
そのため、ブエノスよりはちょっとだけ暑く感じましたが、
アンデス山脈の一環、ウマワカ渓谷があることで、標高が高く、
場所によってはすごく寒いところもありました。

ここはサルタの中心地。
大きな大聖堂が二つあり、とてもきれいでした。
一つは、ピンクとクリーム色の教会で、ちょっとメルヘン。
もう一方は、エンジ色と黄色の作りでした。
写真は夜、ライトアップされたもの。



次の日は、朝早起きして、ウマワカ渓谷往復ツアーに行きました。
30人程度のバスで、ガイドさんの案内とともに、進んでいきます。
ガイドはもちろんスペイン語。
適当に聞き流したり、まじめに聞いたりしながらも
私は、写真を撮るのに夢中でした。
ここは、プルママルカ。
私が一番行きたかった7色の丘が見られるという町。
ですが、ツアーのため、滞在時間が決まっており、
時間はわずか30分間。
トイレに行くと、もう見る時間は10分もなかったけど、
ちょっとだけ、写真を撮って、お土産屋さんを通りすがるように見て、終了。
もうちょっとだけ、長くいたかったなぁと、ちょっと残念。

次は、ティルカラに。ここは宿泊した場所でもあるので、また後ほど。

そして次にウマワカで昼食をとって、ガイドさんと一緒に観光しました。
食べたのは、リャマの肉。
正直、味は微妙でしたが、めったに食べれる物でもないし、よしとする。笑

これは、高台からとった風景。
標高が2000mを超えるため、ちょっと階段を連続で登ると軽く息があがりました。
階段の途中に見える青いテントはお土産屋さん。
売っている商品はほとんど同じだけど、
そのデザインや、色がちょっとずつ違うから、思わずどの店にも
立ち寄って見てしまいます。
自分とエルマナのお土産に、鞄を買いました。




ウマワカ渓谷は、山肌が見える渓谷です。
地層の層によって色が異なり、さまざまな色の山が連なります。
久しぶりにまともな山を見た日本人の私は、
それもきれいな色をした山々に圧倒され、ついたくさんの写真を撮ってしまいました。
さて、ティルカラに戻ってきました。
ここでバスを降り、ツアーの他のお客さんたちと別れを告げます。
ティルカラは乾燥していて、たくさんのサボテンが生えています。
同じく高台から写真を撮ると、ティルカラの町が見渡せ、
小さな集落に立っている四角いおうちが、模型のように見えました。
ここは、ちょっと気候的にちょっと寒く、
町にはお土産屋さんで買ったであろうセーター(リャマ柄)を着た観光客が
たくさん歩いていました。
これが、リャマ!!
私的には、アルパカとリャマの違いがよくわかりませんが、
かわいい。
売りものの小さい置物なんか、白いふかふかがとっても愛らしい。






最終日もう一度サルタに戻って、最後のお土産周り。
私は、走り回って買い物をしました。
最後の最後にいいものを見つけることができ、
そのお土産にホームステイ先の家族も喜んでくれたので、
走ったかいあり☆ よかったです。

それでは長かった1週間もこれで終わりになりますが、
アルゼンチンとってもきれいでいいとこでした。
都会あり、その中にもくつろげる空間あり、そしておしゃれで、
大自然も残されている。
また行きたいなぁと思わせる、そんな町でした。